名古屋大学教育学部の柴田好章教授と大依塾長が対談しました!

名古屋大学教育学部の柴田好章教授に大依塾長が対談形式でのインタビューを実施しました。

誰も経験したことがない社会を生きる力を育てるには

今回は、「誰も経験したことがない社会を生きる力を育てるには」とのテーマに基づき、柴田教授から様々なお話を伺いました。柴田教授の専門領域は教育方法学です。主な研究テーマは授業分析であり、一人ひとりの子どもたちがどのように学んでいるかを記録・分析することで、教育のあり方や学びのあり方について考察をされています。

諸外国との比較では、日本の若者・子どもの自己肯定感は低いとの結果が出ています。こうした現状に対して、他人と比較をするのではなく、子どもたちが自分のことをより良く思えるような体験や達成感を得られるような成功体験の重要性についても示唆をいただきました。「まだ達成していない」というマイナスな捉え方ではなく、「ここまでできた」「できることを目指して頑張っている」というプラス面に着目して、肯定的に評価していいんだというメッセージを周囲が送っていくことが大切であるとのお話をいただきました。

さらに、詰め込み型の教育がもたらす子どもたちへの影響、子どもが相互に関わり合うことにより、子どもたちはどのような学びを身につけられるのか、教育とテクノロジーの可能性についてなど、広い切り口と高い視座から、柴田教授のこれまでの研究に基づく専門性の高いご意見をお聞かせいただきました。

学ぶこと自体に価値がある

「何かが分かるようになる」「何かができるようになる」、そのこと自体、学ぶこと自体に価値があるとの柴田教授の説明を聞き、学ぶことの意味を感じられ、自分らしい生き方ができるようになるような教育の必要性を改めて確認することができました。

対談の詳細は、下記のとおり記事にしましたのでぜひご覧いただければ幸いです。

以下からも特別対談記事をお読みいただけます。

「学ぶこと自体の価値を、子どもたちへ」  名古屋大学教育学部 柴田教授インタビュー

AIが台頭し、社会の先行きが不透明な現代。これからの子どもたちは、「正解」や「効率」だけでは測れない世界を生きていくことになります。

そんな時代に、教育は何を大切にし、子どもたちにどんな学びを手渡していけばいいのでしょうか。

名古屋大学で、教育方法学を専門とし、授業研究を長年続けてきた柴田好章教授に「誰も経験したことがない社会を生きる力を育てるには」とのテーマで話を伺いました。

柴田教授の言葉から、学ぶこと自体の価値が見えてきます。


学ぶこと自体の価値を、子どもたちへ

聞き手:みらい人材ゼミナール 塾長 大依広宣

大依:本日は、柴田先生に「誰も経験したことがない社会を生きる力を育てるには」というテーマで取材をさせていただきたいと思います。初めに、柴田先生の研究領域の概要について教えてください。

柴田:私は名古屋大学教育学部及び大学院教育発達科学研究科の教授をしており、専門領域は教育学、とりわけ教育方法学という領域で研究をしています。

主な研究テーマは授業研究です。教室の中で一人ひとりの子どもたちがどのように学んでいるかということを記録し、それを大学で分析をし、教育のあり方、学びのあり方について考察をしています。小学校や中学校、そして高等学校での様々な学校との関わりがあります。

特に近年では、主体的、対話的に学ぶということが学びを深めるためにどういう意味があるのか、また、学ぶということの意味自体についても考えています。

さらに、最近ではICTの活用ということについても研究を進めています。一人一台のタブレットが入ってきたことによって、学校での、教室での学びのあり方が、今、大きく変わりつつあります。特に、一人ひとりの考えをお互いに出し合って、意見交流していく、そういったところでICTが活用できる可能性についても考えています。

大依:柴田先生は、どうして教育学に携わろうと思われたのでしょうか。

柴田:元々、教育に関する関心というのは大学を受験する前からありました。自分自身が教育を受けてきた経験から、自ら学ぶことや体験的に学ぶことということは大切だと思いつつ、一方では詰め込み教育のような知識偏重の教育の弊害についても問題意識を持っていました。

そこで、教育の学問である教育学では、そのような教育のあり方がどのように語られているのかということを知ってみたいと思い、教育学部に進学をしました。

進学後も名古屋大学教育学部では教育学や心理学を学ぶことができるため、様々な学問に触れながら、教室の現場の中で子どもたちがどう学んでいるのかということに関心を持って卒業論文を書きました。そしてまた、その続きとしてさらに大学院に進学し、授業の中でのコミュニケーションのあり方をテーマとして深く研究しようと思い、現在に至っています。

自己肯定感の低さを、どう受け止めるか

大依:内閣府の調査では、日本の若者・子どもたちの自己肯定感は諸外国と比べて最も低いというデータが公表されています。この調査をどのように捉え、また教育の立場からは、どのようにアプローチできますでしょうか。

柴田:このデータの捉え方も様々あるのではないかと思っています。

まず、「自分を肯定することの大切さ」ということは、一人ひとりの子どもたちに感じていてほしいと願っています。このようなことは、大人からの願いとして大切なことですし、社会全体でもこのことを大切にしていくことが、非常に大事になると思います。

一方で、なぜ、自己肯定感が低いのかという要因は様々あるとは思います。その中でもやはり、他人と自分とを比較して、「まだ自分はここができていないんだ」とか、あるいは逆に、高い目標を持っているからこそ、「まだまだ自分はダメだ」と思っている場合もあると思います。

もちろん、自己肯定感は低いより高いに越したことはありません。まずは、子どもたちが自分のことをよりよく思えるような体験をすることや、達成感を得られるような課題を追究することで、できるだけ多くの成功体験を持てるようにするといいのではないかと思います。

もちろん学力も含まれますが、学力だけでなく学校や教育で大切にされている価値は、より良い方向性というものが決まっているわけです。学力でいえば、早く正確にできることの方がより良いことです。また、道徳的な価値観においても望ましい価値観というのはあるわけです。

そういったものの向上を目指していくということは教育にとって非常に大切なことではあるんですが、それを裏返してしまうと、まだ望ましい状況に達していないという現状をマイナスで捉えてしまうことになってしまいます。

できなかったことができるようになったことをプラスに捉えることもできるのですが、目標とか目指すところを基準とすれば、今の状況はどうしてもマイナスに見えてしまうことになってしまいます。

そういう発想に立ってしまうと、子どもも苦しんでしまうことがありますから、やはり、前はできなかったことができるようになったことや、それからまだできていなくてもできつつあることや、あるいはできることを目指して頑張っていることなど、自分が自分を大切にしているあかしとして、ポジティブな受け取り方ができるように、「肯定的に評価していいんだよ」というメッセージを周りからも送るといったことも大切になると思います。

AI時代に必要なのは「AIに勝つ力」だけなのか

大依:野村総合研究所とオックスフォード大学の研究では、今後、AIが台頭し、労働人口の半分が代替され得るとの結果が示されています。これからの子どもたちに対する教育には何が求められますか。

柴田:AIが台頭してくるので、AIがやるような仕事は、これからは人間がやったとしても労働市場の中では価値を持たなくなるということが予想されます。このことは、良いことなのか、悪いことなのか、捉え方の難しい問題でもあります。

良いこととして捉えれば、人間が働かなくても良いということになりますが、悪いこととして捉えれば、労働によって生活の糧を得るチャンスがAIによって奪われてしまうということにもなります。このように、この問題に対して、プラスで捉えるか、マイナスで捉えるのか、大きく評価が分かれるところだと思います。

その上で短期的に見れば、学校を卒業した後に職業生活に入っていくときに、適切な移行ができるようにするためには、今後、AIが台頭してくる中で、代替されるような職業よりは、それ以外の職業を選択できるような能力を高めていくことは、一面としては必要なことのように思います。

ただし、本来的にはそのような考えで良いのかということも、やはり問い直していく必要があると思うんですね。

AIが台頭してくる中で求められる人材というのは、1つはAIそのものを作り出したり、AIの技術を活用して、これまで誰も想像しなかったような新しいビジネスを作ったり、スタートアップをしたり、研究開発をしたりという、いわゆるイノベーティブな人材です。そういった人たちは、これからも社会の中でAIにはできない、人間しかできないこととして生き残っていくのだろうと思います。

もう一方で、AIでは行き届きにくい人間らしいコミュニケーションの部分は残っていくのだろうと思います。言い方を変えれば、感情労働を必要とするようなものです。対人的なコミュニケーションに比重の高い職業は残っていくと思います。そこで、そのような職業に子どもたちを導いていく必要があるんだという主張には、一定の合理性はあるように思います。

しかし、AIがやらないような隙間を縫って人間が生きていくような社会になってしまうことを、本当に私たちは望んでいるのでしょうか。そうではないと思います。これまで人間がしてきたことで、AIに代替されることであっても、人間がやった方がいいことや自分がやりたいことについては追求していくということが大事ではないかと思うんです。

それはどういうことかというと、教育というのは必ずしも生活の糧を得るためだけではなくて、自分の生き方や生きがいというものを豊かにしていくという面もあります。例を挙げれば、生涯スポーツはすごく大切な観点だと思います。

体を動かすというのは、小学校、中学校、高等学校の中で、体育という授業がありますが、卒業してしまえば、自分で体を動かすかどうかというのは、本人任せになっています。でも、生涯スポーツの振興という観点からいえば、体を動かすということの良さ、スポーツすることの良さということを多くの人々が享受できるような社会を目指していかなければならないですよね。

体を動かすということは、一部のアスリートの人たちは、まさに生活の糧のために体を動かすわけですが、多くの人たちは、例えば、ランニングをするとか、それは自分の生きがいのためにやっているわけです。移動するための手段として考えたら、当然、車で移動した方が速いのです。まさか、車に負けないように走っているわけではないですよね。

それと同じように、AIに負けないようにとか、AIと競う必要はなくて、AIがやるようなことでも自分がやりたいと思うことはどんどんやれるということが大切ではないでしょうか。生活の糧以外に、自分の人生を豊かにするというような意味で、学びの意味、学ぶことの良さを感じられるような教育をもっと大切にしていく必要があると思います。

加えて言うならば、ここからはかなり、先行き不透明な話であるので、私が言うことが本当に実現するかどうかは甚だあやしいところもありますが、AIが発達することによって、労働の半分がAIによって代替されるということを大きく捉えて、人間が労働から解放されるんだとして、もしそれが実現する、あるいは実現に近づくのであるとすれば、その空いた時間は人間が何をするのかという点もすごく大事になってくると思うんですね。

そういった意味では、これまで働くということを通して得られていた生きがいとか生きる意味というお金以上の意味をどこで感じ取るかというと、空いた時間に自分が何をするかということになると思うんですね。

その時に、自分らしく生きていくためには、様々な本に触れるとか、知識に触れるとか、芸術に触れるとか、スポーツに触れるとか、そういった文化、芸術、スポーツに豊かに触れながら生きていくということが大切になるんではないかと思います。

そういった意味においても、これからの教育、一人ひとりの子どもの生きがいを豊かにしていくという方向で考えていくことがすごく大切になるかと思います。

小学校低学年の詰め込み教育は、学びの意味や実感を奪う

大依:次に、詰め込み型の教育は小学校低学年には早いと考えますが、小学生にはどのような教育が効果的とお考えでしょうか。

柴田:まず、詰め込み型の教育についてはいろんな捉え方ができるわけですが、人間は、主体的に考えながら生きているので、外から何かを詰め込んで教え込むということがまず可能かどうかを考える必要があるでしょう。

いわゆる詰め込み教育ということに対しての批判もなされてきていますが、その前に、子どもたちは本当に詰め込まれているのだろうかということを問い直す必要があるでしょう。

理解できないことは、短期記憶としてすぐ忘却されていくので、一定程度記憶に残るということは、その人なりに記憶の中でとどめておくというような意味を持っているんではないかという風に思うわけです。

一方では、語呂合わせで覚えるとか記述で覚えるとか、そういったこともあり得るわけなので、意味が分からないまま、理解を伴わないままの記憶、いわゆる暗記にとどまっているような教育というのはなくはないと思います。そういった教育は、小学校低学年に関わらず、やはりどの段階においても、豊かな学び、質の高い学びとは言えないのではないかなという風に思います。

やはり、学習内容を納得するとか、その意味や価値をきちんと受け止めながら学ぶということが、豊かな学びになります。詰め込み型の教育というのは、どの段階の学びにおいても望ましいものではないという風に思っています。

ただし、短期的に、試験が近づいているので、とりあえず、覚えておこうかとか、そういったことは暫定的には人間が生きていく手段としてありうることです。そういった短期的な意味においては、詰め込み型で何か覚えておくということもなくはないと思います。

ただし、やはりそれも、小学校低学年というのは、やはりおっしゃる通りに早いと思います。なぜかというと、例えば、教科書に書いてあることを丸暗記すれば、テストには合格ができる、なぜなら教科書には大事なことが書いてあるからですね。だから、意味がよく理解できない場合にあっても、とりあえずは覚えておこうということは、短期的な方略としてはなくはないと思います。

しかしながら、やはり、それは自分の頭で考えているわけではなく、権威とかそういったものに寄りかかっているのです。「教科書に書いてあるのだから、それを覚えとけばいいのだろう」とか、あるいは、「先生が出した課題なんだから、とりあえずやっておけばいいんだろう」ということになってくるわけです。

そうすると、先ほど言ったような、自分らしい生きがいを見つけていくような豊かな学びにはつながっていかないわけです。学校を卒業したら、もう指示を出してくれる先生はいないのです。テストももうないのです。そしたら、「もう自分は学ぶ必要はないんだ」という風になってしまう。

学校にいる間に勉強することを強いられて、やらされる勉強の習慣を身に着けてしまうことによって、豊かに学ぶことができなくなるのであれば、それは教育のあり方としては良くないと思います。

とりわけ、小学校低学年の時からとりあえず覚えておけばいいんだというようなことで教育をしてしまうと、子どもたちから、学ぶことの意味や良さ、学ぶとか、わかるとか、できるとか、そのこと自体に価値があるということを実感する機会を奪ってしまうことになってしまいます。

ですから、その後の人間形成にとってはかなり大きな影響を与えるので、慎重に教育をしていくことが大切です。つまり、子ども自身が学ぶことの意味や実感が、感じられるような豊かな学びということを、特に小さなお子さんに提供していくことが大事であると考えます。

学び合いは「互いの違い」に気づくためにある

大依:先生は、子ども相互の関わり合いについて研究されていますが、子どもが相互に関わり合うことにより、子どもたちはどのような学びを身につけられるのでしょうか。

柴田:まず対話的な学びとかいうことが、今すごく大事にされています。学校でもグループワークや学級全体での話し合いを充実させる方向で教育が今動いています。

これは、今に始まったことではなくて、学び合う、関わり合うということは、教育にとって非常に大切なことです。ですから、ずっと以前から取り組まれてきていますけれども、さらに、今日では、そういった学び方が、大切にされてきているのです。

私自身も、教室の中での学習者同士の関わりということを、長年研究してきています。それはなぜかというと、一つには学びというのは最終的には個に帰る、個人に帰るということが大事だということではありますが、最初から一人で学んでいるにはやはり限界があるんですよね。

例えば、ある物語を読むと、自分が何か感想を持つと思います。人が何かを読んだり見たりして、何かを思うということは、人間らしい非常に大切なことであります。しかし、それはあくまでも自分の世界の中に閉じています。同じものを見ても、当然ながら他の人は他のことを感じたり、気づいたりします。

それぞれの思いを交換し、自分の思いと他の人の思いがわかることによって、互いの良さに気づくことができます。そして、自分の良さに気づくことにもなります。関わりながら学ぶことで、他の人と違う、かけがえのない自分の思いがあるのだということを考える機会になります。

そういうことからすれば、学校というのは、知識を得るだけではなくて、自分の考えを、お互いに出し合うことで学び合う場であると思います。

知識を持ち帰るということであれば、インターネットで情報を取ることが、非常に便利になってきています。ですから、学校とかそういったところ以外でも可能になってきています。だからこそ、同じ仲間同士が、自分の考えとかを持ち寄ることによって、お互いの学びを良くしていくということが、これからの学びの中で大事ではないかと思います。

そうした学びをしていく上では、互いの違いを大切にするということ。お互いの違いを隠そうとしたり、私がわからないことや、できないことを隠そうとするんではなくて、それをお互いに出し合うことが大切です。

それはお互いに信頼できる人間関係が築かれていないとできないことですけれども、そういう信頼関係の中で、互いの違いや、あるいは分からなさ、できなさということを出し合いながら学び合っていくということが、質の高い学びになっていくと考えています。

ICTは「伝達」だけでなく「交流」を拡張する

大依:コロナ禍でICTを活用したオンラインの授業も増えてきています。教育とテクノロジーの可能性についてはどのようにお考えでしょうか。

柴田:オンライン授業が増えてきているという中で、1つには情報を得るという面でのICTの活用ということがあります。この可能性は非常に大きく、いつでも、どこでも、誰でも、多様なコンテンツにアクセスができるということは、生涯学習社会を実現する上では、とても大切です。

歴史を遡れば、中世から近代に変わった時に教育に大きく影響したものは、印刷技術だと言われています。印刷技術によって、階級、身分の違いなく、安価に、情報を多くの人が手にできるようになりました。この印刷技術が、全ての人が、全てのことを学べるようにしていくという近代教育の出発点になっていったわけです。

それが発達しながら学校教育制度という形で、何百年か経って、今のような形になってきているわけです。今では情報化が押し進められることによって、そこに行かなければ、得られなかった情報が、いつでも、どこでも、誰でもが得られるようになりました。情報を伝達するという点から見れば、全ての人が全てのことを学べるようになるという理想に、さらに近づいてきているのだと思います。

例えば、海外の大学に留学しなければ受けられなかったような授業が、国内にいながらインターネットで受けられるようになってきている事例があります。空間を超えるという意味では、ICTの活用に大きな期待ができるわけです。だから、いつでもどこでも誰でも学べるということが非常に、まずは、1つは有効なことだと思います。

もう1つの視点で言うと、今はその伝達という視点でお話をしましたけれども、次には、交流という視点でもICTというのは非常に大きな意味があると思います。

先ほど、お互いの考えを持ち寄って学ぶ、学び合うことの大切さということをお話ししましたけれども、ICTを使うことによって、それぞれの考えを出し合って、それを交流し合うことも促進されます。これはICTが非常に得意とするところであり、情報を交換し合う、交流し合うという点で、期待が持てると思い注目しているところであります。

OECDラーニング・コンパスの鍵は「自己決定」と「バランス」

大依:先日、先生からもアドバイスを受けて世界の最先端の教育枠組みであるOECDのラーニング・コンパスについてご紹介をいただきました。授業で取り入れる場合に、どのように取り組めばよろしいでしょうか。

柴田:ラーニング・コンパスの考え方で注目すべきところというのは、自分の学び、自分たちの学びを自分たちで方向づけていく、まさにコンパスを持ってどちらの方向に向かっていくかということを歩んでいく、その自己決定というところがすごく大事だと思います。

もちろん子どもたちには、大人が与えたレールの中で安心して学ばせるという場面というのは、これは必ず必要です。いきなりどこにどんなものがあるかわからない子どもたちに、「はい、もう自分で学びたいこと学びなさい」、「この図書館にはたくさんの本があるから、もう好きに読めばいいから」というのは、いかがでしょうか。

もちろんそのような自由に学ぶ時間も必要ですけれども、やはり国語の授業では、「みんなで一緒にこの物語を読んでみよう」と子どもたちを教師がいざない、みんなで同じ作品を読みながら意見交流して、語り合うことの良さを感じ、それによって自分の学びを深めていき、学ぶ力を身につけていくことも大切です。

ですから、大人が敷いた一定のレールの中で学んでいくということと、本当に自由に学んでいくこと、このバランスが教育では大事ですね。

その中でも、やはりこれまでの学校では、個性を大切にすると言いながらも、画一的な教育になりやすかった面がありました。これからは、最終的には本人が主体的に自分は何が学びたいのかということを選び取りながら、学ぶ内容や学び方を自分で考えて歩んでいくことができるようにしていくことが求められていると言えます。

ここで、学校を卒業した後のことを考えてみますと、大人というのは、主体的な学び方を身につけていなければ、生涯学習にアクセスしていかなくなってしまうわけですね。そういう意味では、究極の学びの姿というのが自己決定であり、自分が学ぶ内容や方法を考えて学んでいくことができるように、育てていくことが大切です。

そのためには、自分の学びをより良くしていこうとする意志と責任が必要です。そして、自分のために学ぶということが基本としつつも、周りの人と関わりながら学ぶことや、学んだことをより良い社会の実現のために生かしていくという社会性も大切になります。

すなわち、学び手としての責任をもち、自分の学びをより良くしていくことによって、お互いに思いやりを持ちながらより良い社会を築いていくことに貢献しようという意志をもつことを大切にしたいと考えています。

そのためには、自分で考える機会、自分で決める機会、そして、最後まで自分でやり抜く機会、さらにどうしてもわからない時には自ら他人に助けを求めて教えを請う力、そういった力も大事になってきます。

自分の学びを自分でより良くしていくということですね。そういった機会を増やしていくことが大事だと思います。

学ぶということは、生きるための手段でありながらも、よりよく学ぶということが、まさに、その人らしく、個性を持った人間として生きているということです。だから、自分らしく学ぶということは、自分らしく生きていくということになります。

学ぶということの中にある良さに気づき、その良さに気づいて、その良さをより伸ばしていく、より自分なりに、より良い学びを作り上げていくという、そういう機会を教育の中にもっともっと取り入れていく必要があるのではないかと思います。

結局、教育が守りたいものは何か

大依:最後に、これからの教育に対するメッセージをいただけますでしょうか。

柴田:学ぶということは、学ぶということ自体に価値があるんですね。

何か分かるようになる、何かできるようになるということ自体に価値があります。

もちろん目標を持って学んで、ある大学に入りたいからそこに向けて学ぶとか、ある資格を取りたいからその資格に向けて学ぶとか、これも大切な学びには違いないんですけれども、それらは学んだ結果として何かが得られるということが目的です。つまり、学んだ結果が何かに交換できるという意味での価値、すなわち交換価値ですよね。

それから、あるいは自分が何か学んだこと、例えば学んだ技術などを使って、何か製品を作るとか、問題を解決するとかということもあります。何か、それを学んだことが、何かに使うことができる。使用することができるという使用価値ですね。

このような、交換したり、使用したりできるということも、もちろん価値なんですけれども、学ぶということは、それ自体に価値があるんですよね。わからないことがわかる、まさに、知的好奇心に基づいて学ぶということの中に、学ぶことの良さがあるのですね。

ですから、何か実用的に使えるとか、それによって報酬が得られるとかだけではなくて、学ぶこと自体の価値、何かがわかる、何かができるようになるということ、端的に言えば、「なるほど、そうか、面白いな」と実感が持てるということが、学ぶことの意味だということです。

その意味を一人ひとりの子どもたちに、学ぶ意味が実感できるような教育というのは、これからの教育にとってすごく大切ではないかと思います。

先ほど話したような、これからAIが発達する社会の中で、人間がどこで生きがいを感じ、自分らしさを感じて、自分らしく生きていくのかということが課題となってきます。よりよく学ぶということが、この課題につながっていくわけです。

生涯にわたって、自分がより良く生きていくために、よりよく学んでいこうとすることが、きちんと位置づいていくようにしていきたいものです。子ども自身が、自分で考え、自分で選び、自分でより良くしていこうとするような学びを大切にしていきたいと思います。


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